京都の旅で得たもの
- Kazuki Kiyosawa
- 2016年1月8日
- 読了時間: 6分
ご存知の方も多いかもしれませんが、去年の9月15日~17日の3日間で、
自転車で京都を目指そう!という企画を友達と3人で行いました。
今回はその旅で得たものを書きたいと思います!
どうして東京から京都まで自転車で行きたかったの?
自由人な父親を見ていてふと思いました。
「お父さんはきっと、お金があるから京都まで簡単に行けちゃうんだろうな。(新幹線や飛行機で)…でも、自転車で行くことは出来ないんだよな。“自転車で京都まで行く”っていう経験は得ること出来ないんだよな。でも、俺ってその経験得ることできんじゃん!」っていうのが始まりでした。
いくらお金を持っていても、得ることの出来ない経験。
“行動すること”においての最大の武器は「若さ」だと。
「お金」じゃ買えない「経験」には、非常に価値があると思いました。
「いくらお金を積んでもできない経験なんだよ。」という資本主義への反発心。
というのも一理由かもしれない。
そこからはあっという間に行くことが決まりました。
「やるなら、体力的に今が1番いいタイミングなんじゃないの!?周りにそんなことやってる奴もいないし、京都まで行けないやつが世界一周なんて出来る訳ないじゃん!」なーんてノリで。メンバーもあっという間に決まって。

左から、海、凱人、ぼく。
3人とも自転車が好きとか、体力自慢とかそんなんでもない。
むしろ自転車は遅い方w凱人に関してはチャリを持ってなくて、俺のチャリを貸したww
15日のa.m.4:00に東京を出て、
初日は200kmという人生最高距離を走りました。
別に普段から、自転車に乗っているわけでもなくシンプルに無茶しようってことだったんで、めちゃくちゃ辛かったのを覚えています(笑)
知らぬ間にバイパスを走っていて怒鳴られたのも今じゃいい思い出。
静岡県が思ったより長くて、何度も挫折したなぁ。初日は掛川でおやすみ。
2日目の疲労度はすでに半端なくて、スタートからヘトヘト。でもなんとか150km走って、名古屋に到着!名古屋に着いた時の喜びは言葉にできません。
ほんとに自分で始めたことがこんなに辛いなんて思いもしなかったっすねー。
自分で始めたからこそ辛いというか。

ここで350km。精神的にも体力的にも限界での3日目…は、正直なところ車輪を1ミリも動かすことは出来なかった。2日目の夜に天気も崩れ始め、ひつまぶし食って京都へ移動。
実はこの記事じゃ書けないほど今までハプニングはあったんですけど、(落車したり、ホテルを間違えたり)
ここで最大のハプニングが起きた。
ひつまぶしを食べ終えた瞬間、海と凱人とはぐれた…。
「○番線、○時の電車!それが京都行き最後だから、自転車畳んで車内で落ち合おう!」
という連絡だけして1人の僕はとにかく急いだ。
ひとまず電車に乗り込む。泥だらけで大荷物を抱える僕を乗客はジロリと見る。
僕たちはなるだけお金をかけずに行くことも目的だったので、京都までの電車は、
新幹線ではなく、2時間半かけてローカルな電車の旅だ。
今までの宿も、食費もかなり抑えて行動してきた。
それは、名古屋でのひつまぶしや、京都・大阪での観光、特別な時にちゃんと使いたいから抑えたのである。
いくらホームを見渡しても一向に2人は来ない。
電話も出ない。ついには電車は出発してしまった。
「ま、3人の中で1番のんびり屋の俺が乗ってんだ。さすがに乗ってるだろ…。」
なんて考えてた。
おそらく読めているだろうが、2人は乗り遅れた。
電話からは「エェェェェェェェェェ!」との叫び声が。いや叫びてぇのは俺だわw
2時間かけて京都へ。奴らは1時間前に京都に(結局新幹線に乗るというw)
体力限界で京都到着。半笑いの2人に無事に合流。
そんで3日目は、早朝から清水寺にUSJにと1日遊んで、終電の新幹線にダッシュで駆け込み、東京へ帰宅というとんでもない気力の中笑い続けた。

で、こっからが気づいたこと!
「旅の意味」と「旅の目的/理由」の違い
「なぜ世界一周したいの?」「世界一周の目的はなに?」っていう質問に対し、
「語学や人種の壁を超えて人や社会に触れ合ってみたいから」や
「キャリアや家族、自分にステータスが付けば付くほど、身勝手に行動できなくなり、ずっと夢見ていた“世界一周”とは無縁になってしまうから」みたいな真面目な理由や、
「ただ単純に、世界の絶景をこの目で見てみたい。」や
「世界中の美味しいものを食べてみたい。」というシンプルな理由まで、
旅人には様々な「旅をする目的/理由」があるだろう。
しかし、この個人間の目的は、「旅の意味」とはならない。

「3日間で京都に自転車に行く」という旅に対し「なんでそんなことしたの?」
と聞かれれば、
「自転車で550km先にある京都を目指すには“若さ”と”体力”が必要」だと感じ、
「お金じゃ買えない”経験”に価値を感じ」、
「今しか出来ないから」というストレートな答えがあった。
しかし、これは「旅の意味」にはならない。「旅の意味」は
京都に到着(実際には大雨と疲労により名古屋を越した峠でリタイア)したときに気付くことができた。
今回の旅の意味は、「3日間で京都を目指すというとてもハードなスケジュールにまっすぐ向き合い、自分自身と戦うことにあった。」ということだ。
それは、当初立てていた旅の目標/理由のカテゴリーとは違う「旅の中身」的なものがあった。
「ドラゴンボール」で例えるなら、旅の目的は、「ドラゴンボールを7つ集め願いを叶えること。」しかし、旅を終えてみて感じる「旅の意味」は「ドラゴンボール集めを通じて得た仲間の大切さ」だったりする。
つまり、目的や理由と「意味」は異なるものなのではないだろうか。
・・・まぁこれは、ほとんど「卒論」からの引用文なんですけど、
「旅の意味」ということに関しては、本当にやってみなくちゃ分からなくて、
「旅をする理由」に関しては、出発まえ、道中、帰国後って理由が変わりながらも
存在すると思うんですよねぇ。ちょっと文章で伝えるのは難しい。まだまだだね。
まぁ京都の旅で「なんで旅人って”旅”をするんだろう?」「旅の意味ってなんだろう?」
「旅をする理由ってなんだろう?」って、自転車を漕ぎながら思いまして、
卒業論文になったんですが、結局、自分がしてみないと本当に分からない。という結論で閉じました。
本当に京都への自転車の旅はいいもので(まぁ終わってみればですがw)
3日っていう時間縛りがなければ簡単に達成できてしまうものだと思います。
そして何より、今回は東京→名古屋までですが、350kmという距離感は体に染み付いたんで、「どのくらい遠いのか」というのを理解することができるようになりました。
そこでアメリカ横断は5000km。日本を往復してもお釣りが出るくらいですねー
どうすっかなぁーアメリカ横断したいな。
もうちょっと考えてみます!「京都への自転車の旅」これにておしまい!

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