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海外への憧れ

  • 執筆者の写真: Kazuki Kiyosawa
    Kazuki Kiyosawa
  • 2016年1月9日
  • 読了時間: 5分

「世界一周したい!」と思う前に”海外への憧れ”というものがありました。

元々、16年間やっていた「アルペンスキー」を通して、

様々な国へ行きました。

カナダ、オーストリア、ニュージーランド、イタリア、フランス、スイスetc…

まぁ「スキー」を目的に訪れた国々ですが、それでもやっぱり、

“島国”である日本を離れ、自分たちとは違う国籍、違う文化、

違う人種の人たちが遠いようで近くにいること。

「自分たちが常識ではない」ということを子供ながらに理解し、

また「スキー」という共通のスポーツを通じて、色んな国々に友達が出来るという素晴らしさ。

を感じてきました。

また、“姉の存在”も大きいと思っています。

僕の姉は元女子アルペンスキー全日本代表で、ワールドカップや世界選手権

などに出場し、「日本代表」として現在も世界と戦っています。

ヨーロッパを中心に世界中で活躍する姉は、子供の頃からの

「目標」であり、「尊敬」する人物でした。

「いつか僕も世界を相手に戦ってみたい。」「ワールドカップに出場したい。」

というコメントを小学6年生の頃、チルドレンの世界選手権に出場した時に残したのを

今も覚えています。

「日の丸を背負って世界と戦う。」スポーツの世界で、

こんなにカッコイイことはありません。

時が経ち、姉は遥か遠い存在になってしまい、次第に僕の中の

スキーに対する”熱き情熱”は静かに小さくなってしまいましたが、

「日の丸を背負う」という憧れは変わりません。

「いつか…僕も世界を舞台に」海外への憧れはどんどん強くなっていきます。

ですが、「スキー」への熱意がなくなり、学生時代も終わりに近づいていきます。

なかなか「海外への憧れ」は言葉に出来なくなっていきました。

また母親の方の「祖父」の存在も大きいです。

最近は少しボケ始めて来ましたが、両親共働きの僕はしょっちゅう

祖父の家に預けられていました。そこでよく祖父の話を聞かされていました。

僕の祖父は、戦後アメリカに住んでいて、外車を日本に輸入し販売していました。なので英語はペラペラで、留守番電話のメッセージなんかも英語でした。

僕もいつか、おじいちゃんみたいにアメリカを横断して、英語が喋れるようになりたい。自然と僕の中での男のロマンは「アメリカ横断」になっていました。

そして、去年の初め。

当時、2年以上付き合っていた彼女が、アメリカ・カルフォルニアへ

留学(帰国)しました。帰国と書いたのは、実は彼女、親の仕事の都合で

アメリカ出身で、国籍も向こうなのです。

帰国した彼女は一回りもふた回りも成長していて、たくさんの話をしてくれました。そんな彼女も、来年の4月。僕と同じタイミングで、サンフランシスコへ1年間留学します。これは僕が就活に燃えていた頃から決まっていたことでした。

そもそも僕の小・中と過ごした”成城学園”というカテゴリーの中では

「留学」というワードはごく普通に使われていました。

正直羨ましかった。仲のいい友達が次々に海外へ行き、グローバルになり帰ってくる。中には、通っている大学を退学し、向こうに住んでしまう友達も。

こういったことから、

もともと僕は「就活」と「留学」を視野に入れて大学3・4年を

過ごしていました。

で、去年の夏。ひょんなことからリクルートされ働くようになった

Abercrombie&Fitchの国籍豊かな環境。

色んな国に住んでたとか、帰国子女とか、留学してたとか、

毎回、毎回色んな人に会って、初めて聞く言葉や国名。

例えば、トリニーダトバコ出身とか。ルーマニアに留学してたとか。

レットブルだけでヨーロッパを縦断したとか。

・・・海外に住むってどんなんだろう。好奇心だけで、ワクワクが止まらなかった。きっとこう気づくのが遅かった。そんなの分かっている。

きっと自分にはそういった”チャンス”は来ない。いじけ半分、なるだけその箱を開けないようにしていた。

しかし、一度開けられた箱はもう閉じることは出来ない。

僕の好奇心スイッチは押されてしまった。

「憧れ」と平行に大学では「社会学/フィールドワーク」と出会っていた。

今まで“ただ面白いなぁ”だけであった授業の考え方が変わった。

私が所属しているゼミでは「フィールドワーク」という地域の調査を通して「旅をすること」を研究し、惑星社会のことをより理解しようとするゼミだ。

間違いなく「フィールドワーク」に出会っていなければ、「世界一周」ではなく「留学」または「卒業旅行」で終わっていただろう。

インターンから就活を始め、おそらく周囲の学生よりも内定も頂き、

第一志望の広告代理店Dは最終で落ちてしまったものの、このまま歩いていけば

それなりの人生が待っている予定だった。そう。それなりの。

「それなりの奴に待ってるのは、それなりの人生だよ。」

何の本か思い出せないけど、この言葉にはすごい衝撃を受けました。

人生1度きり。

このまま「海外への憧れ」を口に出せず、人生を浪費し続け、

「スキーの情熱」のように静かに諦めるのは”嫌だ”。

なぜなら「自分の人生の主役は自分」だからです。

それからやっぱりあっという間でした。

内定を断ってまでするんだ。どうせなら「世界一周」したい。

ONEPIECEやジョジョの奇妙な冒険、インディージョーンズやパイレーツオブカリビアン。高橋歩の本。「深夜特急シリーズ」「僕らの人生を変えた世界一周」などなど。やっぱり、僕が「ワクワクドキドキ」する向こう側の世界は、

常に「冒険」がある。自分も、なりたい自分に。

「神の見えざる手」というのはこういった時に使う言葉ではないけど、

本当に神の見えざる手というか、「言葉に出来ない特別な力」が僕を「世界一周」に運んでくれた。

 そうなる「運命」だったのか、第一志望の会社に内定していたら、おそらく「憧れ」は「憧れ」のままで終わっていただろう。この道が正しかったのかはまだ分からないけれど、「旅」の道のりが自分の人生を劇的に変えてくれることを祈るばかりだ。


 
 
 

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